top of page

数多の世界線を跨ぐ佐藤世界は「月碧の塔」の消滅が街のみならず全ての世界線に対して悪影響を及ぼすことを恐 れ、その現状を疑惧し、3月のライヴを無事に開催し終え新譜の制作中だった11月の世界線上に存在する伊吹を街へ呼ぶ為、「3rd Album『EYЯHKA』のジャケットを撮影した廃墟へ行け」と命じる。訳も分からず、為すが侭 に廃墟へ赴いた伊吹はそのまま意識を失い、目を覚ますと、目の前で血だらけで倒れている自分がいることに気づく。 下腹部からの出血と弾痕に気づき、目覚める前に何者かに撃たれたと見た。一言二言交わした後、彼は瞬間に消滅して しまった。屋上へ上がり、外を見ると既に前に居た世界とは違う街へのワープを成功させていた。

 

所持していたスマートフォンに佐藤世界より「月碧の塔を再建せよ」という内容のメッセージを受信し、”月碧の塔”が何なのかも分からないまま辺りを見渡すと一際小高い丘に三日月の形状をしたモニュメントが浮く塔を発見する。

 

街の外れに位置する小高い丘に聳え立つ街のシンボル「月碧の塔」は古来より地域特有の”氏神”的な役割を担っており、街、またこの街の者を守る塔として存在していたが、ある日より月碧の塔が住人の目から姿を隠しつつあることに住 人は気づく。街を隠す塔の影のみが住人に塔を認識させるための唯一存在しているものであり、塔そのものは殆ど 消滅したように見えた。突然消えた塔の存在に対して、住人の中で「塔を消しているのはこの街の管理者ではないか」 という懐疑的な憶測を呼び、街の郊外に存在し、世界についての全記録がなされていると言われる「第3記憶地区」にて街を掌握している管理者の存在についての議論がなされていたが、この頃既に街を包囲する情報管轄局「放送網」から提 供されるテレビが各家庭や施設、機関に興隆していたため、街に関する情報は徹底的に検閲されているといった噂も広 がり、住人の「放送網」への信頼の失墜により、より塔の存在は希薄化した。

 

「廃墟で伊吹が胡覚町へのワープを成功させること」がトリガーとなり、街へのクロスオーバーを迎えたコマツと武田。

 

古来から存在する塔は氏神的な役割を担っていたが現代 に進むに連れて科学が発展し、街の人々は因果の追求に勤しむ一方で、”物語”の生成という無意識下で行われるものとの交差に生まれた、”「塔が消えた理由」という因果追求に物語を生成する” という歪でカオスな状態がこの状況を生んでいるという推測を立てた。放送網の影響下にない今、元々は塔を信仰していたものの、因果と物語生成の間で辟易している状態故に人々の不安、困難、失望を生んでいるのは住人自身の問題であると判じた3人は、新月の今夜、月碧の塔 の最上階まで登り、信仰エネルギーを利用して光へ変換し街へ投射することで住人の影を照らし、住人がこれまで 求めてきた因果と物語を住人の意思で破壊させることで塔を再建することを決意。

 

広場からほど近くに立つ月碧の塔へ到着した3人は螺旋階段を登り塔の最上階へ向かうが、いつまで経っても辿り着か ないことを疑問に思い始めていた佐藤世界は螺旋階段の中段辺りがループ状態に陥っていることに気づき、その原因が 「個の無意識下に存在する物語を現実の街に反映しやすい世界」であるが故に、3人が感じている「不安や困難」を正に体現するかの如く螺旋階段をループ状態へ変化させ、最上階への道が険しくさせていることと判断する。そこで無意識下の不安を顕在化させる街の兆候を利用し、3人の無意識を「蒸気ザクロ」を利用して置換し、「非存在」を「存在」へと変化させることにより螺旋階段のループ状態を打破することに成功した3人は塔の最上階に到着する。

 

街の墜落を回避した3人は街での役目を終え、廃墟へ向かい元の世界に戻ろうとした。コマツと武田が先に元の世界への帰還を果たした後、伊吹も同様に帰還しようとしたが下腹部を何者かに銃撃され────。

 

 

 

あの時ふと現れた男は、あの日街で起こった事件とは無関係だと言った。

私を撃った何者かは、その男とは異なる所属の者だということも。

 

「色々と見て回った君は薄々勘づいているんじゃないかな。」

 

そう、気づいていた。あの街が存在と非存在の間にある、電子剥離であることに。

男はとあるシミュレーションを行っており、街全体の再起動を繰り返していた。

飄々と語るその口ぶりとその表情から、畏怖に値するまでの”矜持”が顕著に現れていた。

私が元の世界へ戻ることが叶わなかった今、誰もあの街がどうなったのかは知らない。

 

ああ、君達には「都合よくお膳立てされた物語を進行させるためのジャンクション映像」だと思われているだろうが。

そう、本来はここまでが「Live EYЯHKA」である。「Live JPN」は続きの御噺だと言っただろう?

 

私、小松、武田があの街で行った「塔の再建」によって、人民の心的地区とその社会そのものを同時に改変してしまった。

「月碧の塔」はその負荷に対して摩擦回復を行い、日本を再整合させた。その代償として、人民の存在区域の器と非存在区域に於ける意識が分離してしまったのだ。

 

要するにこの国の住民は、2020年を機に「身体と意識が分離された状態」にあるということだ。

ああ、勿論君も同様の状態にあるさ、気づいていないだろうが。

君はその意識が帰るまで身体と意識が分離し、意思通りに物語を生成することができない。

何てことしてくれるんだとお思いだろうが、今の今まで気づいていなかったんだからいいだろう別に。

 

さて、君がよく知る伊吹悠は、君だけでもこの状態を回復する必要があると考えたようだが、そのためには月碧の塔の摩擦回復に対して”矜持”を個々に施さなければならない。自身の矜持を塔に縋るな、ということだ。ましてや「僕らより確かなものがある」なんて歌っていちゃダメだ。意識の帰還には外界と現実の連結が必要不可欠なのだから。

 

「Live EYЯHKA」が”存在と非存在”の話だとすれば、「Live JPN」は"分離と帰還"の話になりそうだが。

ああ、私は誰かって?

 

あの日死んだ「嗚咽」だ。

bottom of page